欅坂46に見る中二病的世界とその魅力――人はいつ大人になるのか?

アイドルに疎い私でも、日頃YouTubeなどで音楽を聴いていると自然と視界の中に入ってくる「欅坂46」。

「乃木坂46」の妹分的な立ち位置らしいが、乃木坂46やAKBなどとはまた違ったコンセプトのアイドルグループらしい。

芸能人の中には彼女たちのファンを公言している人もいるらしいが、しかしネットなどではなかなか盛大にディスられていたりもする。

批判的なコメントの中には、「中二病」という単語が目立つ。
歌詞の内容や振付、言動などが中二病的で痛々しいということだ。

「中二病」という言葉に対する理解が筆者はいまひとつ明確にできていないのだが、しかし欅坂46の楽曲が他のアーティストの楽曲よりも際立って中二病的だと思ったことはない。
なんというか、歌詞だけを取り出してみると「一昔前の泥臭いロック」といった感じがする。

「自分の世界に酔っている」などと批判するコメントもあるが、しかし音楽家なんてものは皆ナルシストの陶酔家である。
決して批判的な意味で書いているのではない。
自分の世界にどっぷりと浸かっていなければ、他にはない作品を生み出すことなどできないだろう。

他のアーティストの歌詞にしたって、言葉の選び方や表現が違うだけで、ナルシスティックであったり感傷的であったり、おおよそ現実の日常では決して口にしないようなセリフの羅列なのだ。

中二病批判に関しても、世間の人間だって、大人の女性が密かにシンデレラコンプレックスを抱いていたり、大の男がアクション映画に興奮したり、夢想の対象が違うだけで誰しもが非現実的で大人になりきれない部分を持っているものだ。

密かに自分のことをどこか特別な人間だと思っている、もしくは特別な存在に憧れている… そんな人間は少なくないのではないだろうか。

 

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人はいつ大人になるのか?

今まで30数年間生きてきたが、私は今まで一度も「自分はもう立派な大人だ」と思ったことはない。
これは決して私だけに限った実感ではなく、私の周りの人間もよく口にしていることだ。

子供の頃には20代・30代ともなれば随分と成熟した人間になっているのだろうと思っていたが、自分がいざ歳を取ってみるとかつて想像していた予想図とは全く違っていた。
体や年齢だけは立派に大人なのだが、内面だけはいつまで経っても成熟した大人になれないのだ。

成人式を迎えた、お酒を飲めるようになった、初任給を貰った、大きな買い物をした…
要所要所では通過儀礼的な「大人」を経験して「大人になった!」と思う瞬間はあるのだけれども、「大人に成りきれた」と思ったことは一度もない。

社会に出て大人の処世術を学び、若い頃に比べればはるかに要領よく合理的に物事に対処できるようになった。
過去の自分がもしも現在の自分の姿を見ることがあったのなら、きっと私は「一見」立派な大人に見えるのだろう。

しかしいまだに些細なことで悩んだり、躓いたり、不安になったり、羨んだり、今でもまだ精神的に成熟した完成した「大人」になれていないのだ。

…当たり前のことだが、子供と大人の明確な境界線などない。
この線を飛び越えれば明日からは大人になれる、なんてことはないのだ。

大人は子供ではないけれど、でも完成された人間でもないのだ。

 

子供はいつ「大人」へと変わっていくのか?

完成した大人にはなれない。
しかし完成した人間を目指して人は日々成長していく。

では、子供はいつ頃から大人へと成長を始めるのだ?

それは、小学生時代が終わり、具体的な将来を見据える受験を控えた時期、まさに中二あたりからなのか?

 

ところで、中学校とは勉学のために集められた集団の中で、勉強の他にも「友情」「団結」「目標」などといった少々強制的なコミュニケーションまで求められる、いささか不自然とも言える枠組みである。

不自然ではあるが、しかしそれはまた、現実の大人社会の縮図でもある。

理不尽な規則、問題ごとの黙認、発言は反発とみなされる風潮、夢を持てと言いつつも真面目に生きろと言われる。

そんな大人社会のルールを守らなければならないのだが、しかし自分たちはまだ子供である。
だから子供らしく夢を持たなければならないのだが、しかし大人になるための枠組みには身を置かねばならない…

自分は大人になるべきなのか、ならざるべきなのか?

 

そんな矛盾した理不尽な現実から、彼らの中に自ずと生じてくる「自分とは一体、何者なのか?」という命題。

それは決して純粋なアイデンティティの芽生えだけではなく、世の中の不条理に対する葛藤や恨みをも孕んでいるのではないだろうか。

 

混乱した子供は「なぜ?」と悩み始めるのだが、しかし大人の世界では子供は子供らしく天真爛漫にはつらつとしていなければならない。
大人は「子供らしくない子供」が嫌いなのである。

大人の言う「夢」「希望」「友情」について、「でも」「どうして」「なぜ」と問いかけてくる子供はおおよそ「子供らしい」子供ではない。

そしてそのような「子供らしくない子供」は、大人達が自分達を嫌っているということをよく理解している。

 

欅坂46に投影する自身の中の感情

欅坂46の中で「中二病」批判の的にされているのが、センターポジションの平手友理奈である。

欅坂46の曲のコンセプトは、大人への反発、不信感、社会批判――などと言われている。
平手自身ももしかすると今までに周囲の大人達から「扱いにくい子」といった視線を敏感に感じ取ることがあったのかもしれない。

実際に楽曲を書いているのは秋元氏だが、平手は決してただ受け身に与えられた曲を歌っているのではないのだろう。
「中二病」である彼女は自分なりに曲を理解し自ら血肉化して表現し、そして彼女のパフォーマンスを通して曲の中の世界は現実のものへと具現化されるのだ。

そこには、なんとなく歌い手個々人の顔の見えにくい「誰かの歌」といった曖昧さはなく、その感情が確かに存在しているのだというリアリティを感じる。

ファンからすれば、欅坂46は自身の中に漠然とある内的感情を表現してくれるシンボリックな存在なのかもしれない。

彼女たちのパフォーマンスを通じて、自分たちが日頃抱いている内的世界を、消化し切れない葛藤を、その楽曲の世界へと投影しているのだろうか。

あるいは、かつて抱いていた思春期の時の感情、いまだにどこかで引きずり続けているモラトリアムが、欅坂46の世界観にシンクロするのかもしれない。

 

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