トラウマになる児童書 『おとうさんがいっぱい』(三田村信行 著)

三田村信行氏の著書・『おとうさんがいっぱい』を初めて読んだのは小学生の時だった。

当時の私にとっては、言葉にし難い肌にまとわりつくような恐怖を感じさせる本だった。
しかし大人になった今読み返してみても、やはり十分過ぎるくらいに怖い話なのだ。

でも怖いと分かっているのに、なぜか何度も手に取ってしまう。
見てはいけないものを見てしまった時に、なぜか目を逸らすことができなくなるような、そんな不思議な感覚にさせる著書なのだ。

ところで、「怖い話」と言っても、ホラーや怪談といった類のものではない。
例えるならば、『世にも奇妙な物語』の不条理系の話かな?
この例えだけでも、すでに嫌な感じは十分に伝わるよね。

本の内容については、5編の短編が収められている。

それぞれの話が現実的ではなく、それこそ夢の中の世界のように脈絡のないストーリーを展開していく。
そうして最後には、突如ぽっかりと空いた空虚な闇に落とされていくような、そんな理不尽な結末に終わるのだ。
この本は幼い私の心に確実にトラウマを植え付けた。


イラスト:「おとうさんがいっぱい」より

しかし、なぜこの本はこんなにも人の恐怖心を刺激するんだろうか?

この本の中で語られているのは、登場人物の身に起こる不条理現象の数々だ。
それらは物語という架空の世界の中で起こっている出来事であって、決して現実世界のことではない。

しかし本の中の不条理世界を覗いていると、なぜか不思議な感覚に囚われる。
物語の主人公に降りかかる出来事を、なにか自分事のように感じてしまう。
「こちら側」の世界にいる自分が絶対に同じような体験をすることはないと、果たして断言できるだろうかと不安になってくるのだ。


イラスト:「おとうさんがいっぱい」より

この不安な感覚を何と言おうかな…

例えば、ドアの閉じた自分の部屋を外から鍵穴越しに覗いた時、いつもの通り道を後ろ向きで歩いた時、もしかして不意に見える別の世界があるかもしれない。
何かのはずみで見えてしまった世界が口を開けて待っているような気がする。
今まで気付かなかっただけで、別の世界はいつだって隣合わせで存在しているんじゃないのか?
そんな風に心をざわつかせてくる。


イラスト:「おとうさんがいっぱい 」より

『おとうさんがいっぱい』の冒頭ページで、著者の三田村氏はこのような前書きを記している。

ぼくの心の世界には小さな窓が一つあって ぼくは、ときどき、その窓から外の世界をのぞいてみます。
すると、おかしなことに、世界は、ふだん見なれているのとはいくぶんちがって見えます。どんなふうにちがうのか――それを、ぼくは、五つの物語にまとめてみました。
みなさんは、どうですか。
一度、自分の心の世界の窓から外の世界をのぞいてみたら?

心の世界の小さな窓って何なんだろう?
しかし三田村氏は自身の「窓の外」の世界を物語にまとめて紹介してくれた。

私は三田村氏の物語から自分の心へと伝播してきたこの不可思議な感覚を、他の人にも体験してほしい。
実際に機会がある度に、友人たちにこの本をすすめている。

なぜそんなことをするのか?
単純に面白い本だからという理由も勿論あるが、他にも何となく、この本を読んで味わった恐怖の感覚を他のみんなとも共有したいからだ。

 

…だからあなたも、この本を手に取って不条理世界へのバトンリレーに参加してみませんか?