もうすぐ新生活の始まる季節だ。
4月1日には街中が真新しいスーツをピシッと着た新入社員の若者で溢れるし、その後数日経ったら学生たちの入学式がやってくる。
新入生の中にはピカピカのランドセルを背負ったちびっ子達もいてかわいいのだが、私はその姿を見ると毎年どうしても思い出してしまうことがある。
それは自分が小学生の時に、新しいランドセルを買ってもらえなかったことだ。
もう少ししたら小学生になるという頃に、母親と姉に「ランドセルだよ、来てごらん~」と呼ばれたので、私はハイテンションですっ飛んで行った。
しかし、「はい、これ。」と差し出されたランドセルを見て私は愕然とした。
それは姉のお古のランドセル。しかもとんでもなくボロい。
どれだけボロいかっていうと、多分みんなの想像を絶するくらいボロい。
高学年男子でもそんなにボロいランドセルを背負っている子は見たことがない。
そんなランドセルを「はい、これ。」と渡された私は絶句するしかなかった。
しかしそんな私を尻目に母と姉の2人は「背負ってみて!」「似合うかな?!」とか楽しそうに畳み掛ける。
そして「かっこいい!」「お古だけど全然いい!」「お古だけど全然大丈夫!」とか、更に追い込んでくる。
もう、お古のランドセルで我慢させようとしているのが見え見えで…
しかし実際に実家は貧乏だったので、「どう?!お古がいい?新品がいい?」と2人に詰め寄られた時には、(私が我慢したらいいんだよね…)と、「お古でいい…」と笑って頷くしかなかった。
その時の2人の嬉しそうな顔は今でも覚えている。
そして、2人で「してやったり」と目配せし合っていたの、全部見えてたよ…
何が悲しかったって、新しいランドセルを買ってもらえなかったこと以上に、私の気持ちを全く気付かってくれなかった親たちの行動だ。
子供心にも、(「今お金が無くて買ってあげられないの。ごめんね。」と、どうして正直に言ってくれないの?)と恨みに思った。
入学してからも、毎日の登下校が嫌で嫌で仕方がなかった。
周囲の無遠慮な視線と笑い声…
しかし自分で「お古のランドセルでいい」と言ってしまったからには、親にも愚痴れない。
なんで自分はもっと終戦直後とかの皆が貧しい時代に生まれなかったんだろう…とか、もんもんとしていた。
ランドセルって、節約したい親からすればただの消耗品なのかもしれないけど、子供にとってはその時の自分にしかできない大事な体験のひとつだ。
「みんなと同じもの欲しがらないの!」とたしなめる親は多いけれど、周囲がやっていることを自分ひとりだけ体験できなかった記憶って、ずっと残り続けるんだよね。
夏祭りの出店で売ってる玩具とか、駄菓子屋で売ってるカラフルなキャンディーとかを、「どうせ飽きる」「そんなに美味しくない」ってバッサリ切り捨てる親もいるけど、そういうことじゃないんだよ。
子供にとって大切なのは、お菓子が美味しくないとかの実用性じゃなくて、「実は美味しくない」という現実や発見も含めた自らの実体験なのよ。
それらは大人になってからじゃ、いくらお金を積んでも手に入らないの。
本当に経済的に厳しくて、娯楽費も外食するお金も無いというのなら、お古でも仕方ないとは思うけど、「買わなくて済むならラッキー」ぐらいなら絶対に買ってあげたほうがいいと思う。
親からしたらそうでなくても、その子にとってはすごく大切なものなのかもしれないよ?
「本人が希望した」っていう場合もあるだろうけど、それって本当にその子が本心から「お古でもいい」と思っているのかな?という疑問。
本当にお古でも気にしない子もいると思うけど、自分から「お兄ちゃん・お姉ちゃんのがいい」と言わない限りは、新しいランドセルを買ってあげてほしいなあ…
子供は大人が思っている以上に空気を読んでいるからね。
こうやって今、数十年越しに恨み言を書いている元・子供もいるわけだし…ね。