チューリップの「青春の影」の歌詞の意味とは?結婚の曲?別れの曲?

1970年代に発表されたチューリップの青春の影

最近でも色々なアーティストがカバーしており、今なお耳にする色褪せることのない名曲だ。

 

チューリップに対しては「心の旅」の曲のイメージが強いので、青春の影については、遠距離恋愛の末に結ばれた1組のカップルの曲だと私自身は勝手に思っている。

 

しかし人によってはその歌詞から別れの曲と解釈している人もいるようだ。

チューリップ 青春の影 ←「青春の影」の歌詞はこちらからどうぞ。

 

歌詞を読んでみると最後に今日から君はただの女、今日から僕はただの男というくだりがある。

どうもその「ただの」ってところから他人同士の関係を連想するらしいのだが、確かにそこだけを見ると別れの曲と取れなくもない。

しかしそうだとするとそれまでの歌詞の流れから急転換しすぎやしないか…?
しかもそこで急に2人が別れて曲が終わんの??

私は「ただの男、ただの女」というのは、純粋な人と人との結びつきである男女のことだと解釈していた。

 

勝手ながら自分なりの歌詞の解釈を書いてみる。

 

曲の1番では、今まで自分の夢を優先して生きてきた男が恋人を迎えに行く、といった内容が歌われている。

「僕」から「君」へは道が続いている。
それは「永い」けれど、しかし分かれ道でもなく行き止まりでもなく、確実に「君」の「心」へと続いている「1本の道」だ。

けれど「とてもけわしく細い道」ということは、2人の道のりに何か障害があったのかもしれない、関係が途絶えようとしたのかもしれない。
それは「僕」が「夢」を追うことによって2人の間に生じた障壁だったのかもしれない。

しかし「僕」はこれからは「君を幸せにする」ために生きようと決心をする。

 

2番の歌詞では「君」に起きた変化が描かれている。

「愛を知ったために」「君」は涙をこぼした。

ただ純粋に「恋」を楽しんでいた少女の頃とは違い、大人になれば厳しい現実が待ち受けている。
純粋な恋心だけでは2人の関係は続けられず、「君」は「愛の厳しさ」を知ることになる。
「僕」と距離を隔て、現実の厳しい「風の中」にたたずみながら、「君」はやがてそれを理解していった。

「君」は「風」に吹かれながら「恋」を「愛」へと成長させ、精神的に成熟した大人の女性へと変わっていった。

 

そして最後の3番の歌詞。

「僕」は「君」のもとへと続く「道」に立ち、これからは「君」のために生きようと気持ちを確かめながら、君を迎えに歩いて行く。

そして今までの仕事の肩書や世間のしがらみなどを脱ぎ捨てた、それ以前の存在としての、「ただの」ひとりの「男」と「ただの」ひとりの「女」として、「今日から」は2人で生きていく。

 

タイトルの青春の影とは、それまできらきらとした陽光の中で純粋に恋を楽しんでいた少年時代に影がかかり始め、現実の厳しさを知って次第に大人になっていく、そんな過渡期のことを表現しているのではないだろうか。

曲の内容については、「今まで自分の夢を追うことを優先していた男が、長い間待たせていた恋人を迎えに行く」というハッピーエンドのものだと思っている。

 

人によって様々な捉え方のできる意味の幅の広い曲である。

しかし世の「名曲」には、そのような明確な意味を示さない歌詞のものが多い。
だからこそ多くの人に名曲として支持されるのかもしれない。

 

しかしこの青春の影を作った当時、財津和夫氏は25歳であったというから驚きだ。
初めてこの曲を聴いた時は、てっきり後年に若い頃のことを振り返って書いたものだと思っていた。

その年でこんな深みのある歌詞が書けるとはすごいな。
名作を作る人というのは、年齢に関係なくそれを生み出してしまえるものなのか…