テレビ無し生活早や8年…それでも悠々気ままに生きている

最近テレビを持たない若者が増えているらしい。

若者に限らず30代・40代でも年々増加傾向にあるらしく、かくいう私もその中の一人でテレビ無し生活も早や8年目に突入している。
自分にしては珍しく、時代の波に乗っている。

しかし未だに「テレビが無い」と言うと珍しがられるのが現状だ。
「どうやって生活しているの?」といった失言を浴びせられることもしばしば。

折角なのでこの場を借りてテレビの無い生活とはどのようなものなのかを語ることとする。

 

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なぜテレビの無い生活を選ぼうと思ったのか?

なぜテレビの無い生活を選択しようと思ったのか?

それほど理由らしい理由もない。
きっかけはというと、実家を出て一人暮らしを始めたというのがそもそもだった。

それまでも日頃さしてテレビを見る方でもなく、引っ越し先も広いとは言い難い部屋だったので、場所が無いという要因と地デジ移行直後のテレビの高価格が決定打となり、じゃあ取り敢えず無くてもいいやという気安い感じだった。

テレビが無くて不便ではないのか?

テレビの無い生活を始めた当初は「テレビが見れないと困るんじゃないのか?」と危惧もしていたが、正直それほど大きな不便は感じなかった。

ネット環境は整えていたので、毎日のパソコンのメールチェックの際にYahooニュースのトピックスが目に飛び込んでくる。
また当時の職場ではタダで新聞を手に入れることが出来たので、そちらから情報を得ることも出来た。

自分から能動的に動かないと情報が入ってこないというのは確かにあるのだけれど、耐えられないというほどのストレスでもなかった。
大体1日2日ニュースを見なかったところでどうにかなるわけでもないし。

唯一困った、というか煩わしかったのはNHKの集金だ。
あいつらテレビが無かろうが無いって説明しようが、「いや本当は有るんっしょ?w」みたいな感じで詰め寄ってくるから。
きつく言い跳ねれば渋々帰っては行くが、次の年になればまたやって来る。
ツバメの帰巣や鮭の遡上じゃあるまいし。

 

そんなふうにしつこいNHKの集金を追い払いつつ、テレビの無い生活をだらだらと続けていた状態だった。
もう長いことそんな生活に慣れ親しんでそれが普通の状態となっていたので、よほど大きなきっかけでも無い限りその生活が続いて行くんじゃないかと思っていた。

しかし困った事態はついに起こる

不便は無い。そう思って生活していたのだが、しかしそうとも言えない事態がついに起こってしまう。

それは忘れもしない東日本大震災の発生。

当時の職場はシフト制勤務だったので、地震発生日の平日、私は昼過ぎまでぐーすか遅寝をしていた。
関東地方にまで被害が及ぶ大きな地震だったが、私の住む関西にまではさすがに揺れは及ばず、「今…大地の波動を感じました…」といった特殊能力も持ち合わせていないので何も気付かないでいた。
そしてその日は日頃の疲労から外にも出ずにパソコンも開かずに、その後もだらだらと過ごし続けたので震災の事など何も知る由は無かった。

少しでも揺れた地域に住んでいたら「こっちも揺れたけどそっちは大丈夫?!」などと友人・知人から連絡が来たかもしれないが。

「さすがに親からくらい連絡があるでしょ」と思うかもしれないが、うちの両親はそんな気の利く人間ではない

次の日職場へ出勤すると「昨日の地震びっくりしたねー!」と同僚から始めて知らされる。
「何それ?」と何も知らない状態に恥をかいたのもきつかったが、それ以上にあれ程の大規模災害の事実を1日遅れの時間差で聞いたことのショックの方が大きかった。

同じ日本に住んでいながら、地獄の状況に巻き込まれている人々がいることや、それを世界中が注視している状態に何も気が付かなかったなんて。

 

…それって地震に限らずすごく怖いことじゃないか?

極端に言えば、隣町で山火事が発生していても、テロリストが銃を乱射していても、ゴジラが暴れまわっていても、何も気付かないでのほほんと音楽でも聞いているかもしれないなんて。

やはりテレビは生活をする上で必需品

先の件についての、私の中での世界から取り残された感がすごかったので、さすがに何か変わらざるを得なかった。

それまでは1日くらいニュースを見なくてどうなんだと思っていたが、刻一刻の世情を把握することの重要さを思い知らされた。

そうして普段とろ臭い自分にしては珍しく、早速次の日の仕事帰りに家電量販店へと足を運んだのだった。
そして前日にリサーチしておいたポータブルラジオを無事に購入して帰ったのだった。

テレビではなく、ラジオを。

 

「いや、ここまで来たらテレビ買えよ。」ってお思いの皆さん。
ちょっと黙ってほしい。このブログタイトルが目に入らないのか。

テレビって高いんやで?何万、何十万ってするんやで?そんなお金が次の日にぽーんて出せるかいな。
金のある奴はこのサイトにはお呼びじゃないんだ。とっとと帰れ―――。

 

…そうして無事にラジオ生活が始まったわけだが、ラジオ生活超快適

スポーツ観戦の趣味も無いので、特に映像が無くても不自由は感じないし。
逆に映像が無い分、むやみに視覚が持って行かれて注意力が散漫にならないし。
どうしても映像が気になるニュースがあった時はネット動画を検索すればいいわけだし。

もうそんな現状に満足しまくっているわけなんで、きっと結婚でもして生活スタイルが変わらない限りずっとこの調子なんだと思う。
でも結婚する予定も何も無いので、故に死ぬまでこの調子。

テレビの無い生活を経験して思うこと

しかし結局テレビが有るほうがいいとか無いほうがいいとか、そんなの人それぞれってことだ。
欲しいと思う人は買えばいいし、見ればいい。

だってね、家にテレビが有ったところでスイッチ押さなきゃ情報は映りませんから。

あまりテレビを必要としない人って、「自分の必要としている情報だけ知りたい、自分の興味のある情報だけ欲しい。」って傾向にあると思う。
人によっては余計な情報がストレスにすらなるようだ。
テレビに興味ないの無い人はテレビのスイッチをそもそも押さない。

私も疲れている日なんかはテレビどころかパソコンも新聞も、メディアの類を一切見ないで1日を終えることもある。
テレビもラジオも新聞もネットニュースも、結局自分から能動的に働きかけないと情報は得られないという点では同じだ。

私が震災の件から思ったことは、大事なのはテレビで情報を得ること以上に、「大丈夫だった?」と携帯なんかで連絡を取り合うことや、「危険だよ!」ってご近所同士で声を掛け合うことなんじゃないかっていうこと。

情報は決してデジタルでのみ得られるものでは無いから。

 

しかし震災当時に安全な地域に居たものの、「怖いね!」とか「心配だね!」とか友人達からメールかなんかが1通くらい来てもいいものの、全く無かったってどういうこと。
もしかして私が勝手に友達だと思ってるだけなんかな?

 

あ…なんかちょっと悲しくなってきた…

 

つづく (続くんかい)

テレビ無し生活早や8年…それでも悠々気ままに生きている その2
前記事に引き続き自分のテレビ無し生活について語っていく。 テレビを持たない世帯が増加傾向にあるものの、やはりテレビを持たない人間がマイノリティーであ...