テレビが無い生活の唯一のデメリット…視覚情報の欠如

以前にもテレビの無い生活についてのブログ記事を書き、

「テレビの無い生活、快適快適~♪」

と公言して憚らない私だが、しかしテレビが無いことに起因する「危機意識の鈍化」みたいなものを感じる時がたまにある。

一体何のことを言っているのかというと、テレビを持ってさえいれば自ずと目に入ってくるであろう、地震・津波・豪雨・洪水・などなどなどなど…数々の災害についての視覚的情報の欠如から生じるイメージと現実とのズレみたいなもの

文字や聴覚などから得た情報でなんとなく頭の中でイメージしていた状況と実際の現場の惨状とにギャップがあった時、自分の災害に対する認識の甘さに衝撃を受けることがある。

 

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頭の中のイメージと現実とのギャップ

日本は災害大国なので、メディアの情報の中にも頻繁に災害ニュースが飛び交う。

ここ最近の日本は先の災害の傷が癒える間もなく、次々とまた新たな自然災害の苦難に見舞われ続けている。
当然ニュースではそれらについて取り上げているわけなのだが、テレビを持たない人間はその情報群をラジオや新聞、ネットニュースなどから得ている。

私は専らラジオが情報源の主力となっているのだが、そうなると当然情報は音声のみとなり、視覚情報は入ってこない

普段の生活においては映像による情報は無いものの、ニュースなどはテレビのタイムテーブルと同じように放送されているし、緊急速報に関してもラジオ番組を中断させて流れてくる。
そんなわけでテレビが無いからといって、日常的に特に不便を感じるわけでも困ることがあるわけでもない。

しかし大きな災害時などとなるとまた事情が変わってくる。

 

たまに周囲の人たちからテレビの無い生活について、

「テレビが無いと想像力が養われそうだね。」

といったコメントをもらうことがある。

確かに映像が無い分、流れてくる情報については自ずと頭の中でイメージを描いていることはよくある。
というか生きて生活をしていれば誰しもが無意識のうちに、日常の折々で取っている行動なのではないかと思う。
なので私もラジオから流れてくる政治の情報、環境の情報、生活の情報、あらゆる情報に関して頭の中で自然とイメージを作り出しているはずなので、確かに日々想像力を養っているのかもしれない。

だがしかし… いくら想像力を養ったところで
実際に見たことないものについては想像ができないんだよ…

 

東日本大震災しかり、最近で言うと台風21号や北海道地震しかり。

吹き飛ばされるビルの屋根、へし折れる電柱、港でどんぶらこするコンテナの数々、倒壊する街、崩れ落ちる山々…

そんなもん、私の想像力をはるかに超えとるんだわ…

言語や文字としての情報は得ていても、実際の現場の凄惨な映像を見てみると、自分の頭の中での曖昧で貧弱なイメージとのギャップに衝撃を受ける。

「え…そんなこの世の終わりみたいな惨劇になってんの…?」と…

テレビが無くて困る、というか怖いなと感じるのは毎回こうした大災害の時なのだ。
自分の想像力をはるかに超えた現場の映像や写真を見た時に、自分の災害被害に対する認識の甘さに鳥肌が立つのだ。

やはり映像情報から受け取るインパクトは強い。

テレビを持っていない人間の視覚情報源

「じゃあ、お前は一体どこから視覚的な情報を得て鳥肌を立てているんだ?」
って話だけど、それはツイッターなどのSNSに投稿された動画などからである。
あとYouTubeにアップされた動画を閲覧したりもする。

なのでテレビからの情報が無いだけで、視覚情報が全く断たれているわけではない。

ただ情報源が報道機関ではないので、情報取得に「検索」→「閲覧」という二度手間が生じることにはなる。
しかし逆に、いち早く網の目のような一人ひとりの発信源から情報を得ることができるとも言える。

結局テレビは有ったほうがいいのか…?

それでは結局テレビは有ったほうがいいのか?それとも無くてもいいのか?って話だけど、それはその人が生活をする中で主な情報源が何なのか、どういった種類の情報を重視しているのか、などにもよるんじゃないだろうか。

自分の場合は元からテレビは見ないほうだし、ニュースの度に悲惨な映像を見ても気分が落ち込みそうだし、それならば視覚情報については自分が必要な時にだけ取得すればいいか、というスタンスだ。

しかし社会と関わっている以上は、ある程度は時事問題を把握していなければならないし、そういった情報を周囲と共有することも大切ではあるだろう。

テレビを利用していれば情報取得の二度手間は起こらないし効率がいい。

しかし普段SNSなどの利用に慣れているのならばそこからの情報でも十分対応することだって可能である。…

などなど…

普段の自分の生活を振り返れば、テレビが要るのか要らないのかは自ずと答えが導き出せるのではないだろうか。