知らなかった…知らなかったよ…。
長新太氏の過去の連載漫画などを集めた作品集
『これが好きなのよ 長新太マンガ集』
が2016年に刊行されていた!
どこかに告知されていたのか?
発行から2年近くも知らなかったなんて、ちょーさんのファンを名乗るのがおこがましい。
私がちょーさんの漫画と出会ったのは、漫画の変遷や著名な作家達を特集したある文芸書を手にしたことがきっかけだった。
そこで初めて彼の漫画を目にしたわけだが、掲載されていたのはわずか2編ほどの4コマ漫画だけだったにも関わらず、それは私の好奇心をくすぐるのには十分だった。
もっと他にもちょーさんの漫画作品を見てみたい。そう思ったのだが現行で出版されているものは多くはなかった。
2005年に逝去されて以来、昔に連載されていた彼の作品群を見ることはもう出来ないのだと諦めていたので、こちらの著書を密林で発見した時は本当に嬉しかった
ちょーさんは絵本作家として有名で、おそらく多くの人が一度は彼の作品を目にしたことがあるのではないだろうか。
子供達は喜んで彼の本を手にするが大人達はそれに対して顔をしかめるという、スズキコージ氏と並ぶナンセンスかつ問題作的作風の作家である。(自社調べ)
ちょーさんは作家として活動し始めた当初、絵本作家ではなく漫画家として作品を執筆していた。
この「漫画」とはいわゆる「マンガ」として一般的にイメージされるジャンルとは違い、横山泰三氏や横山隆一氏の作風のような風刺画や1コマ漫画を想像してもらうと分かりやすい。
ちょーさんはそんな「漫画」描きとして執筆を始め、次第に絵本も手掛けるようになるのだが、作品ジャンルを問わず昔から一貫して唯一無二の才能を発揮している。
まあ、なんというか前述もしたが、とてもナンセンスな作風なのである。
起承転結が有るのか無いのかもよく分からないし、いわゆるオチも無い。
こんなものを読んで何かためになるのか、何かの役に立つのか、なんて考えちゃいけない。そんなことを考える人には彼の作品は必要ないのだ。
世界は不思議だしこの先に何が起こるのかなんて誰にも分からない、人生には意味なんて無いんだ。
というような世界観が見えるようで、でも実は何も見えてこない。そういった信念や言葉や概念をも超えていくようなナンセンスさ…。
彼の作品は刺激的では無いけれどもユルくてぶっ飛んでいる。
戦前生まれで、著書『海のビー玉』の中で東京大空襲を経験したことに触れている。
「昔はよかった」などと口にする人はいるが、彼の作品は戦争の悲劇や戦後の復興期、豊か現代社会を経験した人生の上に成り立っている。
そうしてそういった人生経験と「長新太」という人間の上に形成されている作風なのだ。
何というか凡人の私には理解の及ばぬような作品の数々なのだが(彼はきっと理解など無意味なことだと一蹴するかもしれない)、それらは日常の延長線上のどこか遠くの方へと意識を誘って行く。
彼のエッセイ集を収めた著書『海のビー玉』は彼の作品に馴染みの無い方にも気楽に読んで頂けるので、是非手に取って頂きたい。(ただしエッセイの割合は少ないです…)
結局彼についてどんな人物なのか、どんな作品なのか、何一つ明確に説明出来ていないが、誰かから「長新太ってどんな人?」って聞かれたらどう説明しようか。
「ちょーさんって、おーーーーっきな人なんだよ。」とでも言っておこう。
6月25日はご命日でしたね。
遅ればせながらご冥福をお祈り申し上げます。