きれい好き=掃除好きではない 「気が付いた人がやればいい」は禁句!

世の中には「きれい好きな人」に分類される人間がいる。

「きれい好きな人」と一言で言っても、片付いている空間が好きな人、掃除が行き届いているのが好きな人、潔癖症な人…
とまあ色々なタイプの人がいるとは思う。

自分はどちらかと言えばきれい好きな人間になると思う。

なので「散らかっているのが好きな人」には共感は湧かないのだけれど、しかし言わんとすることは分かる。

「自分の手の届く範囲に必要なものがあると楽」「目に見える場所に何があるのか分かると安心」とかそういった類の心理なのかなと。
相容れない存在なんだけど、理解はできるというか。

なので「散らかっていると落ち着く」心理に対してどうこう言うつもりはないし、できれば相手の感情を尊重したいという気持ちもある。
実際に関わることになった際には色々と大変なことも多いとは思うが。

しかしきれい好きな人間にとって一番厄介な存在であるのは、「散らかっているのが落ち着く人」ではなく、「散らかっていても平気な人」だと思う。

散らかっているのが好きなわけではないけれど、でもきれいじゃなくても平気、そのうち誰かが片付けてくれたらラッキー、みたいな人。

 

学生時代・社会人時代と色々な人間に関わってきたが、共有スペースや共同作業場所を散らかす人間というのはどこにでも存在している。
そして彼らの後にそこを使用する際には、まず最初に彼らが蹴散らしていった荒野を使用可能な状態に整頓する、といった作業を挟むことになる。

自分が迷惑をこうむることはもちろんなのだが、彼ら自身が毎回行方の分からなくなった仕事道具などを探すために時間を費やしているのを見るにつけ、「散乱部屋は非効率である」というのが私の中の認識である。

なのでできるだけきれいな状態で使用してほしいところなのだが、散らかす人間には散らかしている自覚すら無いのか、何度口酸っぱく頼んだところで何ら効果がない。
挙句、「片付けたい人が片付ければいい」などと言いだす始末。

「片付けたい人が片付ければいい」 この台詞。

 

勘違いしている人も多いのだが、きれい好きな人間が必ずしも掃除好きとは限らない。
むしろ嫌いな人も多い。

散らかっている状態が嫌いだから、仕方なく片付けや掃除をしているだけなのだ。
だからその作業へと導く散らかった部屋が嫌いなのだ。
なのでそのような汚い空間をせっせとこしらえる散らかし魔のことはもっと嫌いなのだ。

さすがに「お前嫌い」とは言わないが、「誰も好きで掃除していない」という旨を説明しても、タチの悪いことに次には「じゃあ今度から気が付いた人がやればいい」と言いだす。

 

出た。「気が付いた人がやればいい」発言。

最終兵器爆弾だ。

 

この発言ほどイラッとするものはない。

「気が付いた人がやればいい」って、じゃあお前いつ気が付くの?

今まで「散らかっているなんて全然気が付かなかったです~」って奴が突然に散らかっていることに気付き始めるの?
絶対気付かないだろ?てか気付かないフリを続けるだろ?

「こう言っとけば、自分は気付かない人間だからやらなくていいじゃん」って魂胆が見え見えだし、もうその発言してる時点で自分はやるつもりないって言っているようなもん。

「気が付いた人がやればいい」はやりたくない人が持ち出す常套句だ。
気が付かない、もしくは気が付かないフリをする人だけが得をするごね得ルールなのだ。

しかも定義が曖昧な上に何の規則も法則性もないので、もはやルールでも何でもない。
日焼けして黄ばんでインクの文字が擦れている『きれいに使いましょう』って貼り紙みたいなもん。

 

この手のやり取りって共同生活をしている者どうしでもよくある事案だと思うのが、生活に密着している分、更に根の深い問題である。

どういう生活空間が好きなのかは人それぞれなので、仕事の効率云々ほど合理性だけで考えられるものでもない。
「片付けてほしい」といった要求は時に、散らかっている状態が落ち着く人間に対しては苦痛を与えることになる。
どのあたりのポイントでお互いが譲歩をするべきなのか、折り合いをつけるのは難しいだろう。

しかしお互いの感性はさて置き、前述の通り「気が付いた人がやればいい」発言だけは絶対にしないほうがいい。
特に結果として相手に負担を負わせることになる場合は尚更だ。

周りを見ていると、そういった発言は男性側が言うパターンが多いみたいなんだけど、世の男性陣よ、あまり軽い気持ちで言うとそれを火種に最終的には離婚問題にも発展しかねないよ?

相手との関係を破綻させたくないのなら、そのセリフを使うのは控えておいたほうがいいだろう。